PB大魔王 中内 㓛
1996年当時の
ブランドリスト
プライベートブランド
プライベートブランドが創られた環境
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品質管理センター【株式会社消費経済研究所】での管理 (現:株式会社生活品質科学研究所)
「これからは扱い商品に責任を持つため、品質を自力で検査し、安全なものを消費者に提供しなければならない」という中内㓛の信念に基づき、1970年8月28日に「株式会社消費経済研究所」を設立。同年11月16日には、チェーンストアーで初めて「品質管理センター」を設立し、消費者の立場になって、最先端の機器と手法によって検査し、合格した商品のみの仕入れを目指しました。
残留農薬、PCB、カビ毒などの分野では他の機関の協力を得ながら研究をすすめ、新しい分析方法をいくつも発見するという功績も残しています。
商品検査で問題を見つけ出した際には,チーフバイヤーと相談をして取引先や産地をまわって品質の改善と向上をお願いすることも少なくなく、このような取り組みによって「ダイエー品質」の基準づくりを仕上げていきました。出典・参考:ダイエー[1992]121-126P -
バイオファームの登場
植物工場とは、野菜や苗を中心とした作物を施設内で光、温湿度、二酸化炭素濃度、培養液などの環境条件を人工的にコントロールし、季節・場所に関係なく安定生産するシステムをいいます。1985年に千葉県のショッピングセンターららぽーとの野菜売場の奥につくった「バイオファーム」は店舗型植物工場の先駆であり、当時としても大きな話題となりました。
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株式会社ダイエーセントラル牧場の登場 (現:株式会社鹿児島サンライズファーム)
ダイエーは、1970年にダイエーセントラル牧場を設立。スーパーマーケットでは大変めずらしい直営農場での牛肉生産をスタートさせました。預託農家の協力の下、最終肥育生産者から店頭に並ぶまで、自社による一貫管理体制を行う黒毛和牛生産事業に取り組んできました。
アメリカから子牛を購入。子牛は家畜で、家畜には規制がありませんでした。 牛一頭を屠殺すると、スーパーで当時売れるのは100g800円のロースなどで、すき焼きに使われます。
ところが、他の部位、ステーキに使うヒレなどは当時は高くてスーパーで売れない。そこで「フォルクス」というステーキハウスが誕生しました。それから、中落ち肉は捨てるのがもったいないため、骨から肉を削り取りミンチにしてハンバーグとして販売しようとのことで、ハンバーグレストランの「ビッグボーイ」が誕生しました。当時の関連グループ会社
- 株式会社ダイエーミート
- 株式会社ダイエーミート関西
- 株式会社ダイエーセントラル牧場
- 株式会社那覇ミート
- 株式会社ダイエーセントラルミート
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加工品開発に向けた取り組み
1980年代終わりから浙江省でタケノコの水煮加工を手がけて日本への輸入を開始していたダイエーは1989年3月21日に、浙江大栄食品公司※を設立。
さらに、加工品の規格外品を中国で販売する機会をさぐり、天津市から小売権の認可を得て、1995年5月にダイエー95%、天津市5%の出資で天津大栄国際貿易有限公司を設立し、完全な協力体制を構築することで、天津側の良質な労働力、豊富な産品の集荷力とダイエーグループの販売力が相まって、今まで不可能であった新しい商品の開発を可能とし、より消費者のニーズに合った商品を提供することを目指しました。※備考:・ボイル筍及び農水産加工品の生産・販売 ・浙江省浙江糧油食品進出口公司他2社と合弁